体と心
精神力の向上や悟りを開くために仏教やその他の宗教では
修行というものを行います。
それは、煩悩にまみれた日常では悩みや苦の根源が
何なのかを考えることができないからです。
順風満帆で天国のような日々を送っていたとすると、
人にとっての幸せは何なのか?とか
どうすれば苦から解放されるのか?とか
人生は?などといったことを疑問に持ち考えることができません。
つまり、楽しく日常を過ごしていればなぜ?やどうして?という感情が
芽生えて来ないのです。
辛い時や悲しい時、迷い辛い時こそ
人は多くのことを考えるのです。
なので、宗教や哲学について考えるときは
日常から離れなければなりません。
それが出家という手段だと思います。
一般社会から距離を取り、ごく普通な日常生活とは違う
状況になってみないと考えることができないのです。
しかし、宗教とは多くの人のためにあるべきであり、
距離を取りすぎるとまた違った思想が芽生え、
社会に与える影響も変わってきます。
仏教でも価値観の違いから
仏教は修行して悟りを開いてこそだという考え方もあれば、
大衆のために広く布教すべきだという考えもあります。
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