死と苦と不幸

仏教の目的とは苦しみからの解脱であるとされています。


そしてその苦とは多々ありますが死という苦しみがあります。


ここで少し「死」というものを考えてみようと思います。


何年も前にとある漫画にあった内容なのですが、


女性がある理由から不死身の体になるという話でした。


悪の野望として目的とされる世界制服と並んで不老不死の力を手に入れる


というのはまた憧れの目標だったりするのかもしれません。


しかし、私が見たその不死身の体になった女性の物語は幸せと呼べるものではありませんでした。


不死身とは、死なないということですが逆に死ねないということでもあるのです。


同じ時代を生きた家族や愛する人は次々といなくなるのに自分は変わらず生きている。


次の時代でまた親しい人を見つけてもその人もまた老いて死んでいく。


自分だけが現世に取り残される孤独感を想像できるでしょうか?


いつの時代でも愛する人に看取られるということなく


見送るばかりで、愛する人を失う悲しみだけが繰り返される。


果たして幸せと呼べるのでしょうか?


ならば、死ぬことは決して不幸ではないと思うのです。


死ぬことができるというのはもはや幸せということになるのではないか。


死は苦でありそして不幸であるとは言えない。


もちろん全てが苦しくないとは言いません。


死が辛く苦しいものだというのはわかります。


ただ、死ぬことは辛く悲しいだけでなく、


死ぬことができた、人生を全うすることができたと考えれば、


幸せの1つとも捉えられるのではないか。



では仏教の教えである死が苦しみであるというのは間違っているのか?


その答えは必ずしも一般的に認識されていることが正しいとは限らないということです。


死=苦しみ=不幸という考えてしまいがちですが、


死は死であり苦は苦であり、不幸は不幸であると私は思います。


それぞれの結びつき方によって死が楽になることもあると思います。


ただ世間一般的に死、苦、不幸というのが結びつきやすいのだと思います。


悟りを開くことができれば全ての死や苦しみの答えも知ることができると思います。


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