体と心③
宗教について考える時に世間から距離をとる方法として
修行という手段を取ります。
自ら辛い状況に置かれることで、
人の本質について考え始めることができます。
なので、修行にも多くの種類があり
それぞれ宗派によって修行にも位があり
誰でもできないものもありますが、
本質は修行そのものをすることではなく、
修行によって何が見えたかが大事なのです。
ただ、1つ1つの行動全ての意味が事前にわかるわけではありません。
答えがあるから修行をしてそれを手に入れるのではなく、
答えがあるかもわからないが、行動しないと答えは見えて来ないというものが
修行ということです。
何のためにそれをしないといけないのか?それはその修行をした後に何に気づけたか
自分次第ということになります。
迷いがあり辛いからその答えを手に入れるために修行をするのではなく、
モヤモヤが堂々巡りの状態から距離をとって
体を動かしてたら、鍛えていたら頭がスッキリとして
ふと気づくことがあるという感じです。
悩みがあれば誰かに相談するのもいいし考える続けることも1つの手段ですが、
何も考えず少し体を動かして疲れた状態においてみると意外と答えは見つかったりするものです。
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