人はいつ神の存在を知ったのか

宗教を学ぶ上で、神様という存在について考えた時、


人はいつから神の存在を認識するようになったのかと疑問に思った。


例えば、火山の噴火や地震といった当時の人からすれば理解のできない恐怖を


神の仕業と捉えるというのは理解できる。


だからそこに神の存在を見ることができるとするのはわかる。


しかし、神の仕業と捉えるためにはすでに神の概念がないと


おかしな話になる。どういうことかというと、


神というものがどんなものかを知らなければ、


それが神様の所業だとは思えないはずだから。


別の角度から考えてみると、


例えば、神様が人の前に現れて「私は神だ」といったとする。


でも何者かがそう言ったところで


神がなんなのかは理解できないだろうし、


それを他の人間に話したところで何言ってんだってことになると思う。


つまり、神が姿を見せたとしても1人がそれを信じたとしても


神という存在を人の間で共通の認識とするのは難しいのではないか。


だとすれば1度に複数の人間が信じる、当時の人の人知を超える何かがあり、


それを第三者が引き起こしたという認識を持つ必要があるのではないか。



人はいつ現在の我々が認識しているであろう全知全能の偉大な存在としての神を


知ることになったのか。



いつ人間の中に神という概念が生まれたのか。


おそらくそれは地域によって異なると思うし、


時代もバラバラで複数のきっかけがあったと思う。


祈る対象として、恐怖の象徴としての神はいつ頃から人間の中に存在するようになったのか。




日本おいては、神という存在のきっかけは自然信仰によるとされる考えがある。


つまり、様々な自然現象を神格化したものが神様という考え方である。


対象としては空や海、山や木々などがある。


天気や自然災害といった人の力を超えるものがあった時、


人以外のものの存在を考えるようになるということかもしれない。


ただ、それが神という存在に至るというのは飛躍しているように思える。

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